明治時代以降の中洲

【玉屋呉服店(大正14年・1925年)開店】
明治時代、公共インフラ(県立病院や電話局など)が急速に整備されました。
周辺には娯楽施設も増え、明治7年には中洲の常設芝居小屋「永楽舎(社)」が誕生。

また、大正時代に移ると、飲食店やバーやカフェ、映画館や劇場などが続々と開店しました。同時に、玉屋呉服店(地上5階建てのエレベーター付き百貨店)が開業し更なる発展を遂げました。

※参考:西日本シティ銀行(東中州物語)

しかしながら、第二次世界大戦中の昭和20年(1945年)福岡大空襲により中洲は甚大な被災をしたものの、同年末には映画館や劇場が次々に復活。その後10年の間に、数十もの映画館が軒を連ね、キャバレー・スナック・高級クラブも増え、戦後復興から高度経済成長期の中洲は国内有数の歓楽街へと成長。今では4000店とも言われる店舗や屋台で賑わう街に発展しました。
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